「日本人は、いつから英会話を学ぶようになったの?」――この問いに、ひとつの年だけで答えるのは簡単ではありません。
日本における英語学習の歴史は長いものの、当初の中心は海外の知識を読み取り、翻訳することでした。英語を人と話すための技能として多くの人が意識するようになるまでには、ラジオ、海外旅行、国際交流、英会話教室、そしてインターネットという複数の波がありました。
この記事では、明治期からオンライン英会話が身近になった現在まで、「日本人が英語を話そうとしてきた歴史」をたどります。英会話教室という業界そのものの変遷は、親記事の英会話教室の歴史|日本の英会話スクール・オンライン英会話業界の変遷もあわせてご覧ください。
この記事のポイント
- 明治期の英語は、会話よりも西洋知識を取り入れるための「読む英語」が中心だった
- 戦後のラジオや国際交流により、音声として英語に触れる入口が広がった
- 海外旅行の自由化やグローバル化が、「話せる英語」の需要を押し上げた
- 2000年代以降、オンライン化によって場所・時間・費用の制約が小さくなった
日本の英会話はいつ始まった?
外国語を話す営み自体は、通詞や外交、交易などを通じて近代以前から存在していました。ただし、それは限られた職業や地域の人々のものであり、現代のように一般の学習者が趣味・仕事・旅行のために英会話を習う姿とは異なります。
日本で英語の存在感が大きく高まったのは、幕末から明治にかけてです。国立国会図書館の資料でも、明治維新とともに英語・フランス語・ドイツ語などが、オランダ語に代わる主要な学習対象になっていったことが紹介されています。
ただし、この時代に必要とされたのは、まず西洋の制度・科学・思想を取り込むための読解と翻訳でした。つまり、日本の英語学習史と、一般向けの英会話学習史は同じではないのです。
明治〜戦前:英語は「新しい知識を読む道具」だった
明治政府は近代国家づくりを急ぎ、海外の制度や学問を積極的に導入しました。1872年に学制が公布され、近代的な教育制度が始まります。翻訳書や外国語の知識は、新しい時代を理解するための重要な入口でした。
学校では英文法、訳読、読本などが重視されました。外国人教師と接する機会のあった学生や、外交・貿易に関わる人々には話す必要もありましたが、多くの人にとって英語は「会話」よりも「読む・訳す・試験に答える」ための教科でした。
この構造は、その後の日本の英語学習にも長く影響します。英単語や文法は知っているのに、会話になると口から出てこない――という悩みの背景には、長く積み重なった学校英語の役割があります。
しゅみすけ(大山俊輔)
学校英語が悪かった、という単純な話ではないんです。読むための英語と、目の前の人と話すための英語では、求められる練習が違う。大人が英会話をやり直すときは、持っている知識を「使う回路」に変えていく視点が大事やと思っています。
戦後〜1960年代:ラジオが英語の「音」を家庭へ運んだ
戦後になると、英語は占領期の社会、海外文化、放送、映画や音楽などを通じて、以前より身近な存在になっていきます。なかでもラジオの語学講座は、教室に通わなくても家庭で英語の音を聞ける学習手段として重要でした。
教科書の文字だけではなく、発音や会話表現を耳から学ぶ。いまでは当たり前に見えるこの体験も、当時は大きな変化です。英会話を学ぶ場所が「学校」から「家庭」にも広がり、音声教材を使った独学の土台が生まれました。
一方で、放送は基本的に一方向です。聞いて繰り返すことはできても、自分の発言に相手が反応してくれるわけではありません。そこで、実際に人と話せる教室や国際交流の価値が、次第に明確になっていきます。

1964年以降:海外旅行が「話せたらいいな」を現実の需要にした
1964年4月1日、日本では観光目的の海外渡航が自由化されました。同年の東京オリンピックもあり、海外や外国人との接点が社会のなかで強く意識された時期です。
その後、所得の向上や航空旅行の普及によって、海外は一部の専門家だけのものではなくなっていきました。旅行先で買い物をする、道を聞く、ホテルで要望を伝える。英語は「試験のための教科」だけでなく、自分の体験を広げる実用的な道具になっていきます。
1970年の大阪万博など、大規模な国際イベントも外国語コミュニケーションへの関心を高めました。外国人と実際に話してみたい、海外文化に直接触れたいという気持ちは、民間の英会話教室が広がる土壌にもなりました。
1970〜1990年代:英会話教室と国際交流が日常へ近づく
都市部の駅前を中心に英会話スクールが増え、広告を通じて「英会話を習う」という選択肢が広く知られるようになりました。仕事で英語が必要な人だけでなく、海外旅行、留学、趣味、自己啓発など、受講目的も多様化します。
1987年にはJETプログラムが始まり、初年度は4か国から848人が参加しました。外国語教育と地域の国際化を目的に、ALTなどが全国の学校や自治体で活動する仕組みです。地域によって差はあるものの、外国人と会い、英語を聞き、話しかける機会が学校教育のなかにも広がっていきました。
この時代の英会話教室は、教材を学ぶ場所であると同時に、日本語を使わずに誰かと会話してみる場所でもありました。独学教材では得にくい緊張感、相手の表情、聞き返し、言い換えといった「やり取り」そのものが商品価値になったのです。
2000年代:インターネットが教室の壁を越えた
インターネットとパソコン、通信環境の普及によって、英会話を学ぶ場所は再び大きく変わります。海外にいる講師とも自宅から会話できるオンライン英会話が広がり、通学時間や教室の所在地に左右されにくくなりました。
オンライン型は、一般に受講回数を増やしやすく、早朝や夜間にも学びやすい点が強みです。一方、通信環境への依存、講師やレッスン品質のばらつき、自分で予約を続ける必要性など、対面とは異なる課題もあります。
対面とオンラインは、どちらかがもう一方を完全に置き換える関係ではありません。違いを詳しく知りたい方は、オンライン英会話と英会話教室の違いをご覧ください。
2020年代:コロナ禍でオンライン化が加速、学び方はハイブリッドへ
新型コロナウイルスの流行は、対面レッスンを前提としていた英会話教室に大きな影響を与えました。休講、時短、定員調整などが必要になる一方、オンラインレッスンへの切り替えが急速に進みました。
その結果、教室に通うサービスでもオンライン併用が一般化し、学習者は「対面かオンラインか」の二択ではなく、目的や生活に合わせて組み合わせやすくなりました。さらにAIを使った発音評価や会話練習も登場し、ひとりで反復する練習はより便利になっています。
それでも、相手に伝わった喜び、言葉に詰まったときの支え、間違えても大丈夫と思える安心感は、人とのレッスンが持つ大きな価値です。
しゅみすけ(大山俊輔)
僕自身、英会話教室に20年以上関わってきました。道具はどんどん便利になりましたが、「間違うのが恥ずかしい」「何を話せばいいかわからない」という最初の不安は、昔も今も大きく変わりません。だからこそ、安心して話せる環境は技術が進んだ時代にも必要なんやと思います。
日本の英会話史から見える、これからの選び方
日本の英会話学習は、読む英語から音を聞く英語へ、そして人とやり取りする英語へと裾野を広げてきました。さらに学ぶ場所も、学校、家庭、駅前の教室、オンラインへと増えています。
選択肢が増えたいま大切なのは、流行のサービスを選ぶことより、自分が何のために話せるようになりたいかを明確にすることです。
- まず話す量を増やしたい:オンライン英会話や短時間の反復練習
- 初心者で不安が強い:日本語で相談できる教室やマンツーマン
- 仕事で使いたい:場面別のロールプレイや継続的なフィードバック
- 趣味として楽しみたい:通いやすさと講師・スクールの雰囲気
英会話教室には、大手、中堅、地域密着型、個人運営などさまざまな形があります。全体像は英会話教室とは?種類と選び方、マンツーマンの特徴はマンツーマン英会話の完全ガイドで整理しています。
まとめ
日本の英会話の歴史に、明確なひとつの開始年があるわけではありません。明治期に英語が近代化のための知識として広がり、戦後の放送が英語の音を家庭へ届け、海外旅行と国際交流が「話す必要」を身近にし、英会話教室とオンラインが練習の場所を広げてきました。
歴史を振り返ると、英語を学ぶ目的も手段も時代とともに変わっています。けれど、最後に言葉を使う相手はいつも人です。自分が安心して続けられ、実際に声を出せる環境を選ぶことが、英会話を身につける第一歩になります。
初心者の方へ
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